▼散歩【天童】
織田信長と関係のある神社が山形にもあったとは…
カリスマですからねぇ〜信長
ウィキペディアで調べたところ…
『織田信長の子孫で天童藩知藩事の織田信敏が東京の私邸内に
「織田社」と称して祀っていたが、明治2年(1869年)11月8日に
神祇官より「健織田社」(たけしおりたのやしろ)という神号が
下賜された。この健織田社を明治3年(1870年)9月13日に天童市
の城山(現 舞鶴山)山頂へ分祀したのが、建勲神社の起源である。
同年(1870年)10月17日、健織田社は太政官の通知により
「建勲社」へと改称し、太平洋戦争終結までこの名称は使われた。
明治17年(1884年)に現在地に遷座した。これは当初建てられた
舞鶴山山頂の社への道のりが急で転落事故が起きるなど不便が
あったため、平坦な舞鶴山山腹に遷座したものである。』
とまぁ〜こんな感じらしいです
『天下とれますように!』
とお願いしてきました(笑)
まだ何とか平気な階段です
これが10年後となったらキツクなるのかも??
10代→20代→30代
衰えが如実に自分でもわかる今日この頃
永遠の若さを求めたい人の気持ちもすこーしばかりわかりますね^_^;
2011/06/06 19:32
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